昭和47年09月10日 月次祭
月の四日にここで、先生と呼ばれる方達の緊急共励が、先生方にとっては、外から来る先生方は、もう一日がかり二日がかりですね。壱岐の末永先生なんかは、前の晩から来てますね。と言うぐらいに、打ち込んだ信心共励でございます。本当に先生方のそれこそ、生々しい信心体験を聞かせて頂いて、本当に有難い事でございますが。神愛会と元のここが、金光教神愛会と言う宗教団体。その名をそのまま頂いて神愛会。
ですからこれは、ここの手続きとか、ここで修行したというだけではなくて、出来るなら、全国から、この会に、先生方が集まって来るという。人が助かる事の為に、御苦労して下さる先生方が生き生きとして、助かるところの世界を君臨して下さる事の為に、そういう会に、段々成長していかなければならんと言うのが、神様の願いであると同時に、私もそれを願いとして頂いておる訳です。有り難いと思います事はね。
例えば、熊本の富永先生が、発表しておられました事の中に、本当にその信者が教えに基づいて助かって行くということ。今まではただ一生懸命御祈念をして差し上げる。そすと、やっぱりおかげを頂いた。けれどもおかげを頂いたと言うて、お礼参拝をすると、もうそれで、お終いになった様な感じの、まぁ五六年間でした。合楽に御神縁を頂いて、いよいよ合楽の信心を元にして、おかげを頂くと言う事になって参りましたら。もう私より、上の棚に行くごたる信者が出来て来ました。
例えば信者が段々増えて行くと言う事もそうですし。お広前が段々手狭になって、一つ移転をして、新たな建築でもさせて頂こうかと言うほどしの雰囲気まで出来て来た。あんたが助かると言う事は、有難いことだ。助かった人達が病むに病まれんそういう感じ。先月からも先々月でした。あちらはお月次祭が三回ある。それでねここでは四回。いわゆる四神様のお祭りと、ここでは申し上げますけれども。ここの十八日のお祭りがそうです。これは小倉の手続きの関係のお教会ではみんな四回あります。
それが私の場合は、まぁ四神様とか、教祖様とかと言う事ではなしに、月に四回の、いよいよ、神恩報謝の心を、そのお祭りに集めて、また集まって、お礼を申し上げようと言うのが、合楽の月次祭です。ですから、もう一回、増やされたら良いでしょう。これはね、デパートあたりで、一回でも、どんな名目をつけてでも良いから、売り出しをせろと言われておる。もう、すりゃする方ある。
金光様の信心でもお月次祭でも、四回よりか五回ち言う。そういう事になってくるほど有り難い。それほど神恩報謝の心と言うものがです。三回よりも四回現わした方が、事実、おかげを受けるからです。例えばそのデパートの売り出しじゃないけれども。売り出しをするたんべんに、やっぱ売り上げが多なるけんでと言うのとは、ちょっと意味が違いますけれども大体は同じ。一回でもそういう神恩報謝の心の、いわば集いと言うかお祭りを頂く事によって、おかげを頂くからなのです。初めの間はちょっとこう無理かなぁと。今まで長年の間三回ですからね。熊本あたりでも三回。
けれども幹部の人達に計らせられて、親先生がこう仰ったからと言うて、とにかく信者の中に数人です。もう一から十までいわば合楽の御教えを、行の上に現わしておかげを受けておるという人達が、それを聞いたのですから。合楽流になると言う事がそのまま、おかげを受けることだと決め込んでしまう。そこで四回のお月次祭が初めはお参りが少ないかと思うたら、やっぱり結構三回のお月次祭と同じにお参りがある様になりました。ころっと、そがしこ、お供えも多なりました。
ずっとおかげでお初穂もそれだけは多く御用が出来るようになりましたと言うことなんです。そして最近先生特に感じます事はね、御神酒のお供えが著しく多くなった事。しかもほとんどが超特級だという事です。熊本の安田先生と言う変わった先生が参って来とりました。先生辺りがもう合楽にご縁を頂いて、合楽の真似をさせて頂くと途端にです。御神酒の不自由はせんと言うぐらいに、おかげを頂いておるですね。
これは、末永先生が発表しておりました事です。とにかく、私と言う人間は、朝起きをせにゃならんから、とても、金光様の先生にはならんち言いよった。出来んち。ところがね、この頃は、段々段々、朝起きをさせて頂く様になったらです。信者が増えて来た。先生、一番おかげを頂いておる事はです。壱岐に何軒あるか、私は知りませんけれども。やっぱ、五六軒あるのじゃないでしょうか。壱岐の島に。
それは色々、教務所にでも出さんならんから分かる訳ですね。どこが、どん位の信者があって、どういうような、まぁいうならば、水揚げがあっておるかという事が分かる。もうどこの教会よりも、一番小さい、一番新しい教会ですけれども。お初穂だけは、壱岐では一番でございますち言う。なるほど、手続きは違うけれどもです。なるほど、合楽の事と言う時には、海を渡ってでも、渡ってこなければおられないし。また、神愛会の、信心共励をさせて貰う時には、楽しみであるという事だけではなくてです。それを、新たに頂いておかなければ、新たに伝える物がない。
今日も、あれは、何とか言ってましたね。どこか、四国の教会。末永さん宛に手紙が来ておりますのは、毎日、おかげの泉を、朝、読ませて頂くという事がです。その教会の、参ってくる者の楽しみになってる。しかも、同じことばっかりじゃったげな。または、一ページなら一ページだけかも知れません。毎日、おかげの泉を、繰り返し繰り返し読ませて頂いてです。合楽風の信心を、いわば、皆が楽しんで、稽古をさせて頂いておるというての手紙でした。
今日も、それも何でした。上野先生の同期の先生で、最近、京都にご縁があって、嫁入っておられる。ご主人になるとが、大変、教学者で、なかなか頭の良い先生らしいけれども。最近は、夫婦で、おかげの泉の研究をさせて頂いておりますと言うて。もぅおかげの泉、あれなしにはと言うほどしに、おかげを頂いておる。例えば、熊本の富永先生。または、末永先生の所でです。どうして、そういうようなです。
合楽流の信心をさせて貰うて、合楽流のおかげ、御比礼というものが輝き始めたかと。あんまり、地元に居りますみなさんの場合なんかは、いうならば、余りにもふんだんに御理解を頂いて、どこと、どう手の付けようがない様な感じじゃなかろうか。それは、あっちこっちの先生方が、手紙を下さったり。お取次を願うて来られたりする方達の所でです。それはもう、本当に、大変な大修行をしておられます。ところが、合楽の場合はです。私はその、先生方自身が、まず、助かる事。取次者自身が助かる事の為の信心を仕えさせて貰います。
昨日も、私が、ある若い女の先生でも、六十年間、教歴のある教会ですけれども、ずっと人が助からん。そういうところの先生に、話をしたことでした。問題はね、先生、あなた自身が助かる事だと。あなた自身が助からずしておいて、どうして、人を助けるてんなんてん、言うことが出来る筈がないじゃないかと言う訳です。神の大恩を知れば、子孫も続き、身代も出来、年まさり、代まさりのおかげを受ける事が出来る。神の大恩を知れば。いわゆる、天地の大恩が分かれば。
そこで、天地の大恩を分からせて頂く事の為に、天地の御恩徳が分からなければならん。御恩徳が分かるから、御恩徳の中に浸っておる事が分かるから、神様有り難うございますと言う神の大恩が分かる。そこでほんなら御恩徳を話で聞くと言うことだけであったら、こうお生かしのおかげを頂いておると言う事が、神様の御恩徳の中に生かされてあるからだという事が分かるのですけれども。それが実感としてです。それが行動に現わさなければおられないほどしの有り難さと言うものになってくるためにです。
天地の御恩徳を分からせて頂くために、天地の道理がわからなければならない。そこで、そんなら、道理がわかっただけではなくて、その道理に基づいた生き方と言うものを、行の上に、生活の上に現わして行かなければならん。そこから初めて御恩徳が分かり、神の大恩が分かり、子孫も続き、一年まさり、代まさりのおかげが受けられるという事になってくる。天と地が、一つになって、舞い遊ぶほどしのおかげを頂いた時に、それこそ、鶴と亀とが舞い遊ぶほどしの、めでたいおかげになると、私は頂いた。
天と地が一つになるほどしのおかげ。いうなら陰と陽とが一つになる。男と女が一つになる。その喜びが次の大きなおかげを生みなして行くという。これは天地の道理なのです。だからおかげを頂いておると言うだけではいけん。今日はそれこそ壱岐の島から、また壱岐まで位行かんならんところがありますよね。あそこは何とか言います。壱岐の向こうは対馬。対馬から今日お礼参拝がありました。一月ほど前にやっぱりおかげの泉が取り持つ縁であちらの対馬の先生が、ここのおかげの泉を愛読しておられます。
そこのご信者さんでです。お母さんが八十幾つになられるのが腸閉塞。お医者さんは、それを手術をしてもと言う事であった。もう八十からの何ですから。そこでおかげの泉を見てから、心が震い立って、わざわざ娘さんと言うても、もう六十ぐらいの方ですけれども。五十幾つになる。お参りになりました。その事のお取次を頂かれてちょうど一月余りになる訳です。私は忘れとったです実際。そしたら今日お礼に出て見えられた。午後に私が奉仕をしておる時に。
しかもわざわざちょうど韓国と日本の真ん中にある島ですよね、対馬と言うのは。おかげを頂きゃどういうところからでも、やっぱり集まっても来るしお礼参拝でもしなければおられない。それこそ涙ながらにお礼参拝でした。もう神様の御遺徳に、恐れ入ってしまう。もう医者もたまがってしまうほどしのおかげを頂いたと言うて、お礼参拝がありました。そらやっぱ、おかげを受けると言う事はですね。
確かに金光大神のお徳によって、願う氏子におかげを授けと仰るが、もう条件なしに、一心に縋ってくればおかげは下さる。古賀さんところの奥さんなんかがそうでした。二三日前もう医者が難しかち言う。それがおかげを頂いて今のとこなら、助かるだろうと言うところまで行ってる。お話を聞くと大変な病気らしい。それがもうあっという間、全然気が付かなかった、そういう病気がある事を。ですから勿論そういうおかげを受けると言うことも有り難いです。
けれどもね、天地の道理が分からせて頂いて、それこそ天と地が一つになってと言うほどしのおかげ。私共の信心修行の中に、やはり天と地と言うか、陰と陽と言う様な修行がある。今朝からの御理解の中にも頂きます様に、神様を信ずると言うこと。いわゆるそれが、絶対信と言うことになってくるところに生れて来るのが安心。いかにもその安心と言うのは、神様が下さるようにあるけれども。安心と言うものは、氏子が作るのぞと下さる。神様は、安心のおかげくださいだけじゃいかんと。
確かに安心のおかげと言うのは、自分自身で作るのだ。自分自身の信心修行から生まれて来るのだ。そこでですねそういう安心が行くほどしのおかげをです。又は神様の絶対愛とでも言いましょうか。絶対信と言うものを信じる。今日文男先生がお届けを致しておりますのに、昨日お届けがあった。今日本人から聞かせて頂いたんですけれども。昨日自動車と単車と正面衝突をした。相手の方が怪我をされた。まぁそう大した事はなかごたるけれども良うなるまで一年でん二年でん、病院に入っとち言わっしゃった。
またその病院が何時まっでん、置かっしゃる病院だそうです。そういう定評のある病院だそうです。そらまぁとんでもないところに、縁を頂いたなぁと私は思うたんですけれどもね。私は心に何かいや先生自身も、ひょっとするとニコッと笑いよるかも知れん。長うかかれば長うかかるほど、おかげ頂くなと思いよるじゃろうと思う。だからそういうところがです。その事を通してねいよいよ、本当な物が分からせて頂く本当なものが頂けれる、それがきっかけにどもなったら、素晴らしい事じゃないですか。
末永先生じゃなかばってん、私は絶対朝起きが出来んから、金光様の先生にはならんち言いよったのが、出来るようになってきた。しかもおかげを受ける事が事実、はっきりしてきたから楽しゅうなって来た。この頃からあっちこっちの、いわばその事を聞いたり見たりさせて頂いてです。そんなら自分方が一番小さい教会でありながら、お初穂の金額は、家が一番多いと言う程しにおかげを受けておると言うことである。
此の頃二十五日の時に、この人は妙なことば言うばいち、私は思うて聞いとった。皆さんも聞かれたと思う。私は恐らく一生朝参りは出来んじゃろうと思うとりますと、こう言う。自分で決めてしまっておる。文男先生はそん時に、皆さんの信心がどうも私は可笑しいと。例えばおかげを受けられんと言う事は可笑しい。それはあなた方がいわば、家に帰っての信心が、本当に出来ていないからだと。
例えて言うなら私はです本当に不平は言わん、腹は立てんと言う信心修行をさせて頂いて、それが段々ほんなものになって来た。それが私がこうやっておかげを受けておる元だと。もうとても素晴らしい。けれどもその事はです、私はそん時神様に頂いたのは、片岡千恵蔵でした。今自分が口の下から言うておるところのです。とても私は朝参りが出来ん人がです。何かの機会から朝参り的信心。それから朝参り修行。これを私は最近は表行の最高最大なものだと言っておる。
そんならそういう素晴らしい最高の表行をさせて頂いてもです。文男先生が、片一方の方で、本気で腹を立てん修行をさせて貰い。この頃、立たんですむごとなったという様な。例えば、今度、こういう事故が起きてから。それは、病院にかかって、一年が二年かかってもです。それを不平も言わん、不足も言わん、腹も立てんで、黙って受けて行く事になったら、素晴らしかろうと思う。
そしてそういう素晴らしい信心の中からです。朝参り的信心が出来るようになったら、初めて、陰と陽が一つになって、そこから生みなされてくるところのおかげが、本当の生みなされてくるものなのである。私は昨日その事を直ぐ神様に、光橋先生がその事をあそこで聞きました病院で。そしてはぁそらおかげ頂いたなぁ。昨日ならばあそこはあなた、呉服の何とか展がありよりました。ですからその時ならとてもほんに、大変なこつじゃったろうけれども。
翌くる日じゃったけん、そらちゃんとおかげ頂いたねと私が。おかげ頂いたてんなんてんち言うごたる顔を、光橋先生がしとりなさったけれども、確かにおかげ頂いとるとじゃもんね。そしたら私の心眼に頂くのが、可愛らしい白兎を頂くんです。その白兎の耳が、こげん長か。大体あげん長いこれくらい。だから私は尚更有難いと思うたんです。もうこりゃ文男先生だけが、可愛い可愛いと言うのじゃないですよ。皆さんも同じ事なんです。けれどもね、この頃妙なこつば言うばいち思うごたる事をです。
とても私は朝参りは出来んでしょうけれども。ちゃんとおかげを頂く自信がありますと言う意味でしょうけれども。それでは片一方のいうならばです、所謂和賀心なんです。それによって受ける所のおかげ。けれどもこれには精進がない。金光様の御信心の、表行と言うのは、色々ありますけれども。いわば朝参り的ですよ。朝参りをせんならんち言うことじゃないですよ。朝参り的表行が出来た時に初めて一つになる。
「兎のお耳はなぜ長い、母さん言うこと聞かないで、お耳を引かれて長いのか」と言う御理解だった。そりゃもう本当に、ある意味では、痒いかところに手の届く様な信心するかと思うと。あるところでは私が言うたっちゃ、知らん振りしてそげなこつは、もう絶対、私は出来んと私の前で平然としてです。そこんにきがいけんのです。実際自他ともに助からなければならないという様な事になってきたらです。とてもとても朝起きでもしなければおられんのである。末永先生がそう。
朝起きが出来んから、金光様の先生はと思うとったけれども。段々おかげを頂かなん事に、切羽つまってくると、出来ん朝起きもして貰わにゃならん。させて頂く様になったら、それが有難うなって来た。はっきりいわば帳尻の方に現れて来た訳です。合楽のあり方と言うものを本気で身に付けよう。毎朝の朝の御祈念にです。全然私は向こうは知ってるけれどもこっちは知らん。けれどもおかげの泉を、毎日読ませて頂いて信者が、おかげの泉を読まないと淋しがるようになってきた。
しかもおかげの泉がです。それこそ泉から湧く様なおかげが約束されておる。そのお話の中には。だから、繰り返し繰り返し、まぁだ、今月号はまだでしょうかと言うことになってくる。お互いが、例えば、おかげの泉の、どうでしょうか、皆さんの所では、どうなっとるだろうか。本当に、一部だけじゃない、五部でも十部でも買わせて頂いてです。それこそ、お導きの為の、例えば、記念祭なら記念祭に対しての、いうならば、匂い掛けの意味合いに於いてでもです。
匂い掛けと言うのは、天理教の教えの言葉だそうです。匂い掛け。そういうおかげを頂かせて頂かなければならんのです。神の大恩を知れば、年まさり代まさりのおかげが受けられる。その為には、天地の御恩徳が分からなければならない。その天地の御恩徳と言うものを、頭で聞くとすぐ分かるけれども、それを実際、行動に現わさなければおられないほどしに分かる事の為にです。天地の道理を知らなければならない。天地の道理の、もっとも有り難いのは、陰陽の道理である。天地の道理である。
本当にそこから、陰と陽とが合体して、この明るい電気が、その交流によって電気が付く様なおかげなんです。そういうおかげを頂くために、私の信心の中には、そういう、男性的な信心女性的な信心。言うなら、表行心行が、間違いないところに、焦点が置かれて、果たして出来ておるかと。文男先生が言うことじゃないですけれども。あなた方の場合には、その教えを行じて、徹底していないのだと。だから、そこの所を、まず頂かせて頂くと同時にです。それに対するところの表行です。
今日、光昭が申しておりました。こちらが心を神様に向けておる時には、話すなと言われても、話はしゅうごとなってくる。自ずとこれから出てくるけれども。最近は神様を、疎遠にしております。とにかく外しておりますから、なかなかお話が出来んと言うことを言うております様にです。そういう修行が、天と地の修行が陰と陽の修行がです、相まって出来るほどしのおかげを目指させて貰う信心をです、願わなければならん。
どうぞ、今月は、さっき、総代さんから、お話があっておった様に、次々と行事があります。それは、おかげを頂くために、それがあると思うてください。月次祭は、一回でも多い方が良いと言うぐらいですから。それだけ、神様の前に、捧げることになるでしょうが。一日よりも五日捧げた方が有り難いです。だから、その内容を一つ、確かめてから、おかげを頂きたいと思います。
どうぞ。